Heaven Is A Place On Earth

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

あばら骨を強打してからジョギングどころか移動のスピードが4割減のもたもたライフ。
これも神様の「胃潰瘍になってもおとなしくしないから今度は打撲でもさせちゃおう」という粋な計らいかと思われます。

この神様っていうのは、いろんなカタチで私たちの目の前に現れてきますね。
自分の心の声(内在神)が自らの成長のために、あるときは仇役、またあるときは理不尽な出来事だったり、人や現象という変幻自在な形でひきよせてまいります。

それらの人、出来事を総称を「神様」と呼ぶとして。

おおむね神様は「災難」をいう衣にコーティングされてやってきます。
大概ここで多くの人は自分に起こった災難(実は神様)を嘆き、災難を「怖れ」て暮らしております。
「怖れ」を通して世の中をみるか、「愛」を通して世の中をみるか。
私はどんな時でも後者を選択したいな。そのためにAHにとりくんでいるからね。
災難の中にどんな祝福が隠されているのか、慌てず騒がず楽しんで探せたら怖いものないよね。

怖れを通して世の中をみない、これだけで世界は楽園に変わっていくんじゃないかな。

まさに

Heaven Is A Place On Earth!
べリンダ・カーライルの歌にありましたね。

「愛」の目で見ているか「怖れ」の目でみているのか、気づいた時点で心の姿勢を正す。(Attitudinal Hearling) 「愛」か「怖れ」2つのメガネをかけかえるイメージです。

自分が「怖れのメガネ」をかけてるかどうか、いくつかあるチェックポイントの中で不動の人気アイテムが「被害者意識」。

もしあなたが、「愛の状態にいない=心がぽかぽかしてなくてざわざわしている」と感じたら、「被害者」になっていないかどうか確認してくださいね。

自分だけが大変だ、かわいそうだという気持ち。
そしてこれを歪んだ形で他人にぶつけていませんか?

もし何かうまくいかないことがあってそれを解決したいなら、問題を整理し、自分で対処できない部分を相手と交渉すればいいだけです。
多くの人がそこに被害者の感情をのせて、不遜な態度、あてこすりや捨て台詞、陰口、筋の通らない要求などをしちゃってます。これって一種暴力なんですけどね。

これらはみな「被害者意識」という怖れのメガネをかけておきちゃう悲劇。
ここではた!と気づいて自分は「何を怖れているのか」「その怖れを手放したくない理由はなにか」自分とむきあい、それを手放そうと意識した人だけが「愛のメガネ」をかけられるわけ。

昨日友人のK子さんのmixiのつぶやきがなるほどなぁと思ったので引用します。

自分はこんなにかわいそうです、と提示するのは自分はこんなに偉いでしょうと自分だけの手柄を認めてもらおうとするのとまったく同じ.劣等感や欠乏意識のギャップを埋められるのは優越感や克服のみで、真なる豊かさや愛、光ではない.恩恵、祝福すべてを無視したVortex外での欠乏意識投影のシーソーゲームだ.


わたしはこんなにこんなにやってます。大変なんです。つかれました。
あなたはもっともっとわたしに・・・してくれたっていいのに。してくれるべきなのに。

こう思ってしまう 裏側、自分の中の怖れって一体何なんでしょうね。
まずはここに光をあててみませんか?

続く・・・・(続くのかよ!)

今日も読んでくださり、ありがとうございました。

LOVE


| AH | 09:20 | comments(5) | trackbacks(0) |

怒りの根っこをさぐる

 
AHをめぐる冒険 TODAY(春樹先生ごめんなさい タイトルちょちぱくりました。)

今日も勝手にパカチョシリーズを送ります。
※何度も言いますがこれは私の体験に基づく個人的な感想であり、AHを解説するものではありません。

AHジャパンHPにAH12の原則が掲載されています。
いやいやしかし読むたびに、これ以上でもこれ以下でもないなぁとしみじみするのっす。
凡人さゆりは、事あるごとにこの原則にたちかえり、心の姿勢を平和に保つ(中心軸にもどす)作業をする日々なのですた。

今日はいきなり12番について勝手に個人的感想を述べたいと思います。
12 どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる

感情の根源は2択であると。

「愛を差し伸べてるか」 or  「助けを求めているか」

AHの創設者、ジェラルド・ジャンポルスキー博士は人は、人とのつながりにおいて 究極的には、「」でつながろうとするのか 「怖れ」でつながろうとするのか その2種類しかないと述べています。

1)愛でつながろうとする→愛をさしのべてる ってどゆこと?

AHは英語圏で発祥したものなので、ニュアンスを正確に訳するのは難しい面があって、AHジャパン主宰者の水島広子さんは、「差し伸べている」という表現について補足してくださいました。英語では「extend」という単語をつかっているので「差し伸べている」というよりもその人が愛(心がぽかぽかしている)の状態にいる→愛がその人からあふれだしている状態→結果として自分以外に波及している状態である、といったような解説をなさっていました。

思うに、「どうぞ、ほら、受け取って」みたいな「行動」ではなく 勝手に愛、だだもれ。拡散してる状態。なのかな〜と。

ほんじゃ、次。


2)怖れでつながろうとする→助けを求めているってどゆこと?

誰かに攻撃されたことを想定してください。


怒っている人は困っている人、実は助けをもとめている。

怒りの攻撃をあびると本能的に防御態勢になり、一緒に怒りの土俵にのっちゃいがちですよね。
そんなとき、このフレーズを思い出してるわだす。

「この人は何に困っているのかな」って考える習慣、自分が怒っているときは「何に困ってるのかな?」って深呼吸して、考えるようにしています。(できないときも多々あります。笑)

わたしの例をあげてみます。

1)友人の不適正な言動→ 傷ついた
2)母親のとんちんかんな言動 →役割期待のずれ(母親としてこうふるまうべきという期待がずれた)
3)終了時間に終わらない講座→自分の予定が狂った

などなど。 

こうして分類してみると怒りの表現の根っこは「困った、たすけて〜」って悲鳴なんだ〜ってよくわかったのです。

※怒りの分類や対処については水島広子さんの「怒りがスーッと消える本」をご参照ください。AHをベースに怒りの分類と対処が詳しくそしてわかりやすく記述されています。

この本のステップ5、「自分でストーリーを作って怒っている事があり、ストーリーを手放しましょう」という内容が、これまたがびー!っと目からうろこです。
 
相手の文脈を理解しようとせず、自作ストーリーの脚本書いて、演じて、観客になって怒り倍増!みたいなこと、いっぱい、あるある大辞典だったよ・・・

この本の例でいうと、二人で会っている時に携帯で長電話をされムカついた、自分をないがしろにし粗末にされたと怒りを感じた場合がでててね。

これは相手の「長電話」に傷つくのではなく、勝手に自分でつくったストーリーに怒り傷つくと。
「わたしより大切な人がいるのね!ひどい・・・」しかし、相手の文脈でいうと、重要な取引先との電話や緊急事態だったかもしれず、なぜ長電話をしたのかは確認しなければわかりません。

つまり自分が怒り、傷ついているのは「事実」ではなく、自作のストーリーという事です。
怒りのきっかけとなる出来事自体ではなく、過去のパターンに反応してることがほとんどでした。これってすんごくたくさん経験ないですか? わたしはいっぱいあります。

そんでこの怒りのベースにあるのが「怖れ」なんじゃよ、とAHでいわれ、これまた目からうろこだったのです。

上の「長電話」の例でいえば、「私がいるのに誰かと長電話している」→「自分が粗末にされたと感じる」→「相手に嫌われているんじゃないかという不安」にたどりつくわけですな。

ここで素直に「わたしの前で長電話されてさみしい気持ちになったよ。嫌われたかと不安になった。」
とわたしを主語に自分の気持ちをいえれば

「ごめんごめん、いま仕事がトラぶってて対応してたんだよ。嫌いになるわけないよ。」

と流れていくことでも!


相手が電話を切った途端

「ちょっと失礼じゃない!私がいるのに長電話なんかして!」といきなり爆発したり
不機嫌そうに無口になって態度をかえてネチネチいやみをいったり
すんごく傷ついたんだけど確認もせず平気なふりをしてみたり

これではずっと怖れに支配されたままです。
24時間自作のストーリーを上映して怒りを持続させることになるでしょう


さて、こうやって怒りの根っこに不安、怖れがあるんだなって特定できたらどうするか。

2択しかないんだから、どっちか選んでどっちか手放すって話ですよね。

怖れを手放したら 必然的に愛を選択しています。

あ!これは・・・

「愛とは怖れを手放すこと」

ジェラルド・ジャンポルスキー博士大ベストセラーのタイトルではありませんか。

怖れを手放しちゃえば、愛の状態にいるなんて、この世はシンプルなんだろう。

どちらを選ぶか常に私たちは選択できる」 もちろん愛を選べない時があってもそれは自由。

こゆふうに考えていくと、怒りと自分の間にすきまがあいて、感情にのっとられる時間が減るね。
そんで自分の不安はなんだろう、どうしてそこに反応しちゃうんだろう、いつから発生したのかっていう過去のデータベースをみていく作業につながっていきます。
怖れの根っこは家族関係、親子関係に端を発してることが非常に多い!(わたしの場合も例にもれず)

これがいわゆる「自分掘り」だよね。 不安の鉱脈をみつけだしたらどうするか・・・どうやって手放していくのか。 これはまた次回。

今日も読んでくださりありがとうございました。

LOVE

| AH | 07:38 | comments(4) | trackbacks(0) |

パカチョ一服

JUGEMテーマ:自分が読んだ本
 
AHファシリテータトレーニングの内容を収録した水島広子さんの新刊「続々怖れを手放す」が届く。
帯にある「治療やカウンセリングの場に役立てることができる」という部分と「あとがきにかえて-本書の内容を治療やカウンセリングに生かすための工夫」を読んだら、ここ最近のパカチョの意味がわかり脱力中なう。



続々怖れを手放す



注)一連の日記はAHの解釈の押し付け=解説文では決してありません。
あくまでAHを通してサユリハタケヤマの「個人的な所感」です。当然、神の啓示でもありません。



★常々、対面セッションを仕事にしている人で専門的訓練をうけてないまま開業したために
自分もクライアントさんも困ったことになっている悩ましい事例

★震災後はそれに加えて自称ヒーラー系の決起による悩ましい事例

その事例が知らず知らずにモキモキ感になり先日の「べき思考WS出席」と「トラウマの現実に向き合う再読」がトリガーとなって「これらが何らかの対処法になるんじゃね?」と怒涛の日記を書きだしたようです。(さっきパカチョした)

上記の悩ましい例の一部はなんとなくこんな感じ。(重複もありますが敢えて)
※表記の混乱を避けるために、相談される側を治療者、相談する側を患者と統一します。
治療者をカウンセラーやヒーラー、患者をクライアントと置き換えて読んでもOKです。


職上知り得た秘密(患者の相談内容)を他の患者に話す(守秘義務)
さらに、あの人はxxxだからだめよという(ジャッジメント、守秘義務)
他の治療者のことを悪くいう(ジャッジメントほか)
他の治療者に対する怒りに支配される(境界線設定ほか)
治療の場で患者の「加害者」に対し怒りはじめる(境界線設定ほか)
治療の場以外で患者の加害者に対する怒りをあらわす(守秘義務違反ほか)
患者に変化を起すのではなく変えようとする(アセスメントでなくジャッジメント)
患者を腫れもの扱いする(ジャッジメント)
患者の文脈を理解しない(ジャッジメント)
治療者の勝手な解釈で治療方針をくみたてる(ジャッジメント)
治療の場を離れても治療以外のアドバイスをしたがる(境界線設定ほか)
患者が治療方針に従わないと怒る(プロセスを尊重できない)
患者への怒りを第三者に漏らす(守秘義務、ジャッジメント、境界線設定ほか)
患者の人格についてジャッジメントし、相手にも伝えてしまう


etc....

以上すべて「患者に安全な治療の場を提供できない」という点で致命傷となりえます。
最終的に治療者の「燃え尽き」にもつながりますから治療者の仕事の場を奪われる(しかも自分が原因で)という意味でも致命傷となりえます。

以上の例でいうと「安全な場」を確保できない理由のひとつは「怒り」かな〜と。

患者たるものこうふるまう「べき思考」「役割の期待」がずれては怒り、患者の相談にでてくる「加害者」に対して怒り、自分のデータべースに反応しては怒り…。

患者の「加害者」に対して怒るって例は、怒ることで患者の味方でいるという意思表示にもみえるけど、効果的とは思えないのっす。患者と自分の境界線がなくなってるし相手に「共感」でなく「共鳴」してしまうと「治療者と問題の間にスペースがなく、問題に支配されちゃってる」ように見受けられます。

また、治療者自身がトラウマ経験者の場合は自分のデータベースに反応しちゃって怒りがよみがえるケースもあり。「わかるわ、わたしも同じ体験をしたから」って「個人的主観」を一方的に押し付けるジャッジメントが一種暴力になったりもして。

患者は不安と恐怖にかられるわ〜。この人を怒らせたら、明日は我が身って思ったらすごく気をつかっちゃう。他の治療者や、他の患者の悪口を聞かされると、自分の相談内容もこうやって漏洩するかも?そしたら今後本音を話すことをためらうし、相談したこと自体後悔しかねない。

治療の場は安全どころの騒ぎじゃないし、治療以前の問題かなーと。

まんず、安全な場を提供するためには治療者自身の怒りに向き合ってそこをなんとかしないとだめなんじゃないかと思うの。

AHで解釈すると、怒っている人=困っている人、助けを求めている人。 である、と。
そんで「怒り」って実は「怖れ」にとらわれた状態 であると みます。
「状態」なので、たまたまその人にあられている症例で、パーソナリティとは別物、という前提で。

怒りの毒気にあてられたら、その感情に支配されるのではなく
自分と感情の間にスペースをあける作業が必要かなーと。

一呼吸おいて、自分の「怖れ」っていったい何なのか。
それを手放すのが怖い理由は何か?
「怖れを手放す不利益があるはず。
手放さない方が自分にとって楽だから、怖れを大事にキープしてるわけですよね。

ここにしっかり向き合い
自分の「怖れ」に気づき、手放すというセルフカウンセリングが必要かも。

「怖れ」に支配されコントロール権も喪失したままでは
他人を「救う」どころか自分で自爆、いわゆる「燃え尽き」になってしまうかも。

誰かのお役にたちたい、というせっかく素敵な動機ではじめたカウンセリングなのに、
治療者自身が心の平和をキープしていないと本末転倒になるます、ね。

それもまたその人のプロセスでしょうから、
わだすにできることはその人の本質(あったかい心=愛)を信じていくことだけなのだが。
まんず「続々怖れを手放す」と「トラウマの現実に向き合う−ジャッジメントを手放すということ」の2冊を読んでみるのも対処法のひとつ、と思っておすすめした次第。

「トラウマそのものには興味がなくとも治療的評価に関心があればぜひご一読ください」と水島さんも述べておられますからね。


「怒りは怖れ」
「ジャッジメントを手放すことがなぜゆるしなのか」
これらについてはまた、別途日記を書こうと思う、ます。

「手放しなさ〜い。許しなさ〜い。」じゃ何も解決しないよなーと常々思ってたからこそ、ね。

パカチョは続くよどこまでも。

※くりかえしますが日記は単なる私見であり、AHの解説でも神の啓示ではありません(しつこい)

今日も読んでくださりありがとうございました。



LOVE
| AH | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) |

続々怖れを手放す 入荷!

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

ソーベーズカフェのブログにも書きましたが同じ内容を書く、ます。

いや〜パカチョの謎がとけましたよ・・・


続々怖れを手放す

水島広子さん最新刊「続々怖れを手放す」入荷しました。
花巻店、盛岡店5冊づつあります。1,995円(税込)
(盛岡は明日ハタケヤマが届けますのでOPENと同時に店頭に並びます)

これはアティテューディナル・ヒーリング(以下AH)のファシリテーターを養成するために
行われてるトレーニングの中心となる部分を収録したものです。
(本文より)


ファシリテータの役割を理解してから参加者として
サポートグループに参加すると
より理解が深まることうけあいですし、(さゆりより)
後述しますが、2つの良い事があります。

※注1)実際ファシリテータとなって自身のサポートグループを立ち上げるには
下記を実践する必要があります。

ボランティアトレーニング→ファシリテータトレーニング出席したのち
ボランティアトレーニングスタッフ、共同ファシリテータ
それぞれ数回こなしてから、となります。
回数については、AHジャパンから正式な通達があると思います。

目次
1.ファシリテータトレーニングをはじめるにあたって
2.AHのプロセス
3.AHのテーマ
4.AHのファシリテータとは
5.ファシリテータという立場における自分自身のワーク
6.ファシリテーションスキル
7.こんなときはどうファシリテーションするか
8.ファシリテータ体験
9.グループの間持ち続けると役に立つ考え
10.ジェリー・ジャンパルスキーからのメッセージ
11.トレーニングの終わりに

どうです?おもしろそうですね!

※注2)ジェリー・ジャンポルスキーとは
わたしがAHに触れるきっかけとなった本
「愛とは怖れを手放すこと(訳 本田健)」の著者でありAHの創設者です。


そして、さゆりの「菜食美人塾ブログ」をお読みの方はおわかりでしょうが
最近、狂ったように? AHネタ、治療とカウンセリングについて
日記を書きまくっていたのですが

今日届いたこの本にはこう書いてありました。

ファシリテータトレーニングが役に立つと思うのは主に2つの点においてです。

一つはファシリテータとしての立場に身を置いてみることで様々な怖れに気づき
AHの理解を深めることにつながるということです。

もう一つはAHという視点を治療やカウンセリングの場に
役立てることができるのではないか、ということです。


どうやら最近のパカチョは
治療やカウンセリングにAHという視点をいれていくことで
治療者と患者、カウンセラーとクライアント
どちらもハッピーになるよ!というメッセージを
さゆりなりにお伝えしたかったのではないでしょうか。


なので
もしあなた様が対面セッションのお仕事をしていておいでなのでしたら
311以後のパラダイム転換以後は特にもAHの視点が必要だと
勝手に思っているわけでございます。

そすて!

本書271ページ〜280ページにバッチリ書いてあったじゃないですか。
 
あとがきに代えてー
本書の内容を治療やカウンセリングにいかす工夫

ここ!ここ!ここをお読みください〜!

最近の頭ムズムズ、モキモキしてることの答えが
すべてここに網羅されておりますた(脱力)

今朝シャワーをあびながらも
「傾聴」の人ってAHで聞かなかったらどうしてるんだろう・・・
「共感してるふり」になってしまったり
「共鳴」になり、無力感罪悪感感じちゃわないかなぁと
思っていたばかりだったのです。

実際、私は被災者の人が話すこれでもかの話を我慢して聞いてかなりもってかれました。
被災者の話はすべからく「聞くべき思考」になっていたからです。
でも被災したスタッフの話を聞いたときはAHで聞けたのでOKでした。

その答えに関してもこの9ページに記載されております。

AHは自分の心の平和のために取り組むものであり
一義的に相手のために行う治療やカウンセリングとは本質的に違います。
それでも治療者やカウンセラーがAHを身につけておくことは、
治療者やカウンセラー自身にとても、また患者さんやクライアントさんにとっても
プラスになると私は考えていますし、自分自身の臨床姿勢も
基本的にはAHと矛盾しないように心がけています

と!

実際治療の段になってでてくるさまざまな専門的な疑問についても
明晰に言及しておられますので
専門家であっても、傾聴グループのようにそれほど専門性が問われなくても
対面セッションのお仕事の方には必読の書と思われます。


また
こうやってわだすが伝えしたからといって
それを選択し実行するかどうかはあくまであなた様のプロセスですので
境界線の設定は間違わないようにいたします。

そすて
まだまだ、AH視点での日記は書きたいこと満載ですので
菜食美人塾ブログで書き続けてまいります!

今日も読んでくださりありがとうございました。
LOVE

| AH | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0) |

役割期待のずれとジャッジメント

eatmoregreensカレー水島広子さんのクリニックにほど近い麻布十番ビーガン対応のお店、Eeat more greens のべジカレー。

このお店はいつもいろんな国籍の方でにぎわっており、お料理、スィーツどれも美味しいの。

麻布十番におでかけの場合はお出かけください。

※豆腐メニューが豊富だったSoy's Cafeが10月で閉店してしまったので、このお店が最後の砦となってしまいますた。

繁盛しますように、なむなむなむ!

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

さて本題。

このブログにて水島広子さん著「怒りがスーッと消える本」を以前紹介したと思います。

非常にざっくりいうとこんな内容かしら↓

--------------------------------------------
怒りの原因となる心理を把握する

怒りの原因4種類
(1)自己防衛 (2)自分の予定が狂わされて困った(3)自分が無理してる (4)役割期待のずれ 

怒りそのものが必要ないものだったら捨てる。
もしくは対処が必要なものは前向きに対処する。
--------------------------------------------

この中の(4)相手への役割期待のずれ ということについて今日は書く、ます。
(これはAHの解説ではなく、あくまでハタケヤマ個人の所感であるとご理解ください)

役割期待のずれは怒りの原因にもなるし、ジャッジメントも起こりやすいと水島さんはおっしゃいます。 そもそも「ジャッジメントは異物を自分の中で位置づけて消化しようという試み」であると。

自分の期待通りにふるまってくれない相手はまさに「異物」ですよね。
このストレス「あの人の振る舞いは不適切だ」という感情自体がジャッジメントになるわけね。

たとえば、我が家の場合。
母親が一時体調を崩しおかしな言動をとるようになりました。
とんちんかんな言動がいちいち私の感情を逆なでします。

これは私が「母親に期待している役割」と違う行動をとるからにほかなりません。
「母親として、このようにふるまってほしい」という枠から逸脱すると「不適切だ」とジャッジしてしまい、怒りのスイッチがはいるわけです。

さらにAHでは「怒っている人は困っている人」と定義しますね。
私が困った理由は
「いつも母業の見本のような母親の劣化をみるのがつらい」というところでしょうか。


その後病院で不調の原因が明らかになり(ジャッジメントでなくアセスメントされた)
「これはパーソナリティの問題でなく単なる症状である」と認識した段階で、わたしのストレスはだいぶ緩和されました。「症」は一時的に表れた現象であり、固定化された母親の属性でない、いわゆる「病気のせいだよね」となったわけです。
また、本人も「不安要素の原因はパーソナリティの問題ではなく単なる症状である。」と認識できたことですんなり「患者の役割」を引き受けることができました。
彼女は「症状の影響をうけているだけで、患者本人は何ら損なわれていない」からです。


ただ、もっと症状が重ければ「いくら症状だといわれても人間としてどうしてもついていけない」というケースもあるでしょう。

水島さんは「人間であれば、現在病んでいるとしても”最低限こうふるまってほしい”という役割期待があって、その枠から逸脱すると”ついていけない人”とジャッジしてしてしまう」と解説しています。
このようなジャッジメントがある限り人間関係は苦しいいものとなり、さらなる役割期待のずれを生んでしまうというから深刻です。

※上のケースの対処法は治療者と患者という位置づけで「トラウマの現実にむきあう」の第3章をお読みください。治療者、家族というケースですが、普通の人間関係にも十分応用がきくと思います。
もちろん対面セッションを生業とするかたには特にも!

さて、この「役割期待」が 先日の日記でのべた「他人に対するべき思考」ですよね。

わたしのケースでも、これ「症状だから、相手のパーソナリティと無関係だから」と頭で理解してても毎回「これネタ?わざと?」って言動を目の当たりにすると冷静さを欠く場面がまだある、ます。(笑)

ただ、「あっ!また べき思考がでた〜!」と気づく→手放す繰り返しでだいぶ楽になりましたが。

にんげんだもの by みつを。

ずれた都度、中心軸に戻ってくればそれでいい by さゆり。(なげーよ)


もし、貴女様が怒りやイライラなど他人に対してストレスを感じたら、
「わたしは相手にどんな役割を期待してるのだろう」とふりかえってみることをおすすめします。

経験上、職場でのイライラは、お互いの役割期待のずれを埋める作業をすればかなり改善されます。チームで仕事をしていれば特に。

「どうしてあの人は◎◎をしてくれないんだろう」とイライラしていることは
相手の文脈でいうと
「これはあなたのするべき仕事だ」と思ってたりします。

お互い自分の役割ではない、と思っているので、バレーでいうお見合い状態(お互いの真ん中にボールが落ちる)になるんですね。

お互いが「自分の文脈」で相手に勝手な「役割期待」をしている→ずれを是正しない→ストレスが昂じる という流れです。

このあたりにメスをいれるだけで、いろんな怒りの原因が解けていくのではないでしょうか。
実際、うちの会社でもこの手法でチーム内の仕事の見直しをしたところ、顕著な効果がありました。

さて、今でてきた「自分の文脈」「相手の文脈」という概念、これを知るだけでわたしはかなりのもやもや感が解消できました。

次回はそれについて語りたいと思います。

今日も読んでくださりありがとうございました。

LOVE
| AH | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) |

自分の友達「べき思考」

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって


ひっぱるだけひっぱった「べき思考」の話題です。

11/12(金) 「べき思考WS」に出席すべく麻布にある水島広子さんのクリニックにいってまいりました。AHの定番、サポートグループやトレーニング、初級WS以外にこのようなバリエーションでWSするのは初の試みとのこと。

水島さんも「データベースがないからとてもリラックスしています」と楽しそうでした。
そして!「べき思考」をテーマに、水島さんが新刊執筆予定とのこと。皆さまどうぞお楽しみに。

さて、そのWSなのですが・・・結論から先にいうと、出席して大正解ですた。

いやいやいや、いかに自分は「べき思考」を仲良しの友達にしており、
相手をジャッジ、自分をジャッジ、異物を排除しようとする働きに無抵抗でいることに気づかされました。

こゆこと言うとね

「べき思考を手放そうっていってすぐ手放せるものじゃないよね」
とか
「AHに参加すれば、すっきり悩みが解決されるのかと思ったら余計モヤモヤした」
とかいわれるの。

「モヤモヤしたらそれが正しいAHの姿ですので、どうぞモヤモヤしたままお帰りください」と水島さんもおっしゃるとおり、AHのWSはご神託を得る場所ではないのねん。

私たちは得てして安易に他人から答えをほしがるものだけど、安易に得た答えは忘れるのも早いものだよ・・・
徹底して自分とむきあいながら、自分を深く深く掘り下げていく、その中にしか正解はない・・・

わたしがWSに出るのはすべて自分の学びのため。
日常生活に活かすためであり、これを利用して一発あててやろうという気持ちはありませんので念のため。あ、水島さんに会いたいって下心?はありますが。(笑)

ということもふまえ、さゆりの実験はどうなったかといいますと。

まず「他人に対してのべき思考」を書きだしていきます。

わだすの場合は

「夫はもっと私に感謝して行動にあらわすべきだ」

と書きますたよ!ええ、鼻息も荒く(笑)

この時点で、わだす夫の被害者になっていますね。
自分の人生が夫に支配されちゃってます

べき=被害者意識」 である。


なるほど〜。

わだすはこの「被害者の役割」にしがみつきたいのか?
検証する意味でも書き換えをしていきます。


これを次のように書き換えます。

| AH | 14:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

対面セッションの仕事なら必読!「トラウマの現実に向き合う」

JUGEMテーマ:自分が読んだ本

「尊敬する人は誰ですか?」と聞かれたら、存命中の方で面識がある方でいうと〜

マクロビオティックの師匠、岡部賢二さんと精神科医でありAH JAPANを主宰なさっている水島広子さんの名前をあげます。当面この2人はハタケヤマにとってのテッパン!でしょう、というわけで今日紹介するのは水島広子さんの著書です。

先日AHジャパンで開催された「べき思考」のWSに出席した後、この本を読んだらまた違った景色がみえました。個人的にいつもそばに置いて読み直したい本です。

もしあなた様が、カウンセラー、アドバイザー、コンサルタント、セラピスト、ヒーラー、まあなんでもいいのですが対面でセッションするお仕事で、精神科医や臨床心理士などの資格がないなら特に、この本を読まれることをおすすめいたします。
基本的にどんな職業であってもクライアントさまの心に触れるので、誰が読んでも役にたちますが、「相談をうける」ことが生業の人に特におすすめです。素人療法で、生半可に心の領域に携わるって危険ですからね。

なぜなら本書はトラウマ治療に向き合う治療者の姿勢について書かれたいわば「プロ向け」の本だから。治療者を自分、患者を「相談者、クライアント」、トラウマを「深い悩み」と置き換えて読めば、専門教育や訓練を受けたことがない人にもこれ以上ない指南書になるでしょう。

以下の文章もそのように単語変換してお読みください。

水島さんは「トラウマの治療において安全というテーマ を終始一貫して守ることは生命線だと思う」と書いておられます。
そこの線引きが不明瞭になると「治療=安全が脅かされる場」となり致命傷になってしまいます、と。

※患者さんに「何を話しても大丈夫」という「安全な場を与えるという定義」は並行してAHを学ぶことでより理解されますがAHは「人にすすめるものではない」ため、ここではあえておすすめしません。

本書では、「そりゃないよ〜」と思うプロの治療家の実例が紹介されてますから、素人セッションではその何倍も悲劇が生まれているだろうことは想像に難くありません。

トラウマ治療に話を戻しますと、水島さんは「治療者は病気の専門家であるが、人間の専門家でなはい」という点に主目をおいておられます。

水島さんいわく

「治療者が立ち入れるのは病気に関する部分だけである。人間としての相手に評価(ジャッジメント)を下してしまうところにさまざまな問題が起こってくるのだと思う。そこに支配関係が生まれたり、新たなトラウマが発生したり、治療への絶望感が起こったり、治療者の燃え尽きが生じたりするのだ。」

病気はあくまで「症状(一過性のもの)」であって属性ではありません。そこに「パーソナリティに対するジャッジメントで治療することの危険性、実例があげられています。


患者に変化を起こすこと」と「患者を変えることの違い」についてもしかり。
変えようとすること」自体「現状を不適切なもの」と評価(ジャッジ)してるわけですね。

水島さんは 
変化をおこそうとするのであれば、相手を変えようとしないことが重要だと思っている。人間にはそれぞれのプロセスがあって変わるときは相手はすでに変化への準備ができているときであり、それ以外のときは変わらない。変化を起こすためにはそのプロセスを妨げる要因を除去することくらいしかできず、治療とは基本的にそういうことを提供する場なのだ」と述べておられます。

評価(ジャッジ)を手放し、適切なアセスメントをしながら治療の過程にむかう例は本書をお読みいただくとして。

そうだす!

パーソナリティに対するジャッジメントからスタートすると「相手を救ってあげるべき」「治してあげるべき」という「べき思考」が発動する方も多々。専門的な訓練をうけていないまま開業しちゃう人に多くみられる問題のような気がします。
アセスメントではなくジャッジメントに基づいたアドバイスになった上に「アドバイス通りに行動すべき」という「べき思考」に陥ると…。
「アドバイスを聞かない」→「わたしを尊重してくれない」→「気持ちがふみにじられた」→「パーソナリティに問題がある」と被害者モードに発展していきます。 さらに「怒りのスイッチ」がはいり、攻撃モードにはいってしまうとドツボですね。 ソーシャルスキル以前の個人的私怨モードになってしまいます。

さらにヤヴァイのは当の相手ではなく、第三者にむけて怒りを発散しちゃう場合。
聴いた人は「わたしもいつか悪口をいわれる可能性がある」と不安になりますね。こうなると「治療する場=安全が脅かされる」ことになります。先に述べたとおり致命傷となっちゃいます。
他の誹謗中傷を別の患者に聴かせる、他の治療者(同業者)に対する批判を患者さんに聴かせる、実はこれ、よく目にします。安全な場とは遠くかけはなれた治療現場…・怖い。

本書にはもっと踏み込んだジャッジメントからおきた不適切な治療事例が掲載されています。
トラウマ体験者も、適切な治療者を選ばないと新たなトラウマ体験を生じてしまうなどしみじみ恐ろしいことになります。

そしてトラウマ体験の治療者、支援者に必要なソーシャルスキルには本書に詳しく述べられています。一番避けなくてはならないのは、治療者がいわゆる「燃え尽き」になってしまい、患者を放り投げてしまうこと。看板を掲げる以上は責任をもってあたっていかないと…。
水島さんは治療者が燃え尽きないためには「ぶれない芯をもつことが大切だ」とおっしゃっています。
水島のベースのひとつにAHを感じます。どの著作にもわたしたちの本質はあったかい心(愛)というAHの原則がながれているような気がして読後感がぽかぽかになります。

最後に
「ジャッジメントを手放す」って簡単にいうけど
どうやったら手放せるの?ってことですが…

本書81ページ第4章「文脈」という現実に向き合う 

本人の文脈を理解すること

ジャッジメントは自分にとっての「異物」を消化する試みであるといえるが、「異物」というのはあくまでも治療者の文脈からみた「異物」なのであり、患者の文脈からみるとそれは必ずしも「異物」ではないこともある。患者の文脈を理解しただけで「異物」感が消えるものは沢山ある。したがって、患者の文脈を理解することは、ジャッジメントを手放すための強力な手段の一つとなる

この「文脈」という概念、目からうろこですた。
先の例に述べた

先ほど述べた「被害者意識」で怒り攻撃モードになる前に「相手の文脈」を理解しようとする、この工程を一ついれるだけで「あの人はひどいひとだ」というジャッジメントが手放せたりします。相手はあなたを無視するつもりも、馬鹿にしたつもりもなく、もっと単純な別の理由でアドバイスを実行していない可能性もあるわけですね。

この「文脈」「異物を消化」という概念を身につけるだけで世の中の見え方がだいぶ変わってくるんじゃないでしょうか?


そすて

本書142ページ

重要なのは「ジャッジメントを下さないこと」には目標を置かない、ということである。
そんな目標はそもそも主観的な生物である人間には適していないし、そのような目標を立ててしまうと、結局は「ジャッジメントを下していること」の否認につながってしまいかねない。そうなると「ジャッジメントを下すこと」についてのジャッジメントを下している、という二重構造になってしまいさらに複雑な話になる。
否認しているものは手放すことができない。
目標はあくまでも「ジャッジメントをしたことに気づき、それを手放す
」というところにあるのだと私は思っている。

なるほど〜。

異物を排除しようとする気持ちに気づく。
そして、そのこと自体にはジャッジメントを下さない。



ちょっと??な人は

「ジャッジメントを下さないことを択できる

と言い換えてもいいかも。

つまり、どっちを選ぶかは自分で決められる、選択権は自分ある、というわけです。

そすて、本書の神髄はやっぱり第8章にあるなぁとしみじみ。

ここでは「トラウマ体験のゆるし」や「自分自身へのゆるし」についてページがさかれております。

愛とゆるし

これこそ、究極の「心の平和」状態でないかと。
AHも「心の平和」に「ある(be)」ための実践であります。

水島さんは
「ゆるし」というのはトラウマ体験という「異物」の本当の消化でないか、と述べられております。
「異物」を消化するための最初の試みがジャッジメントである。

トラウマ体験者はあらゆる方向から相手に、自分に、体験そのものにジャッジメントするし、自分自身も他者からみたら「異物」としてジャッジメントの対象になると。
しかし、ジャッジメントという手法ではいつまでも消化不良のまま苦しみは続くと

治療者も、トラウマ体験者も双方を苦しめるのがジャッジメント。
それを解放するのがゆるしという行為であると。

これは決して「トラウマ体験」の否認ではないし
トラウマ体験者に対して安易に「相手を許しなさい。許さないとあなたは楽になりません」と言い放つことでもありません。


え〜?いったいどうつながるの???というところは是非本書をお読みください。
わたしはここではぅ〜と脱力いたしますた。

ここを理解せずしてカウンセリングなど到底できないってことも。

まあ、わたしのつたない抜粋だけですべてわかるはずもないので水島さんの著作やAHの学習も並行して行うことでより理解が深まっていくと思います。

治療者や、心の領域を多少なりとも扱うことを生業とするなら、ぶれない芯が必要です。その芯をどこにおくかどうやって磨くか、研鑽方法は多種多様と思いますが、その一助としてのご紹介でした。決して勧誘ではございません(笑)

そして、さきほどからでてきた「べき思考」ですが、前回のAHのWSで気づいた自分のべき思考につい…長くなってきたので次回の日記でシェアいたします。
(どんだけひっぱるんだよ!)


今日も読んでくださりありがとうございました。
LOVE

| AH | 08:38 | comments(4) | trackbacks(0) |

怒りがスーッと消える本

この日を逃すと9月までお休みがないという水島広子さんが本当に気持ち良く喜んで
盛岡で AHの入門ワークショップを開催してくださいました。
その時の様子はカフェのブログをご覧くださいね。

水島広子さんは私の心から尊敬する女性です。
・理性的な論理思考と言語表現の回路が非常にうまく連携したすばらしい能力をお持ちになり
・どんな相手にも人間としてニュートラルにむきあって下さるハートウォーミングな部分の
バランスが絶妙なんですよ。

水島さんは妙なプライドや選民意識とは無縁の方で、お会いするときは不必要な上下関係は一切お求めになりません。ですから肩書をみて変にひくつになったり、持ち上げたりする気遣いは一切不要です。おしゃべりも本当に楽しくて愉快。そんな水島さんにAHでご縁をいただき
「仲間って本当にいいですね」って「仲間」にしてもらったのは感激!心がぽかぽかしちゃいました。

そんな水島さんに新刊本をプレゼントしていただきましたよ。
これ、おもしろい!構成もわかりやすい!AHを知らない方にも本当にオススメです。

このタイトル、上手ですね。
もちろんこの本を読んだからといってすべての人の積年の怒りが雲散霧消するわけではありません。

だた、「怒りって消えるんだ」という気づきが得られますね。

そして怒りを消すとか鎮めるとかつまり「コントロール」するためには「怒りの実体」が何なのか知る必要があるわけだすな。

ちょぎっと内容を紹介するとですね

「怒り」ってそもそも何のためにあるのか?

↑ 喜怒哀楽 すべての感情には意味があるます。怒りだって必要があって存在してるよね。
 「予定狂い」「心の傷」「我慢」の怒りとは?

↑ 怒りを3パターンに分別。これはホント面白い。なるほどそうだってうなづいちゃうよ。

「役割期待のずれ」って何?

↑ これこれ!人間関係のストレスは相手に対する役割がずれてるからなんだ〜
目からウロコですよ。

 お互いの領域を守る「話し方」とは?

↑ 「要求ではなく依頼をする」おお I message、ここはもろ「アサーティブネス」ですね!
アドバンスまでとりましたが、この際トレーナーまでとっちゃおうかな。

以下省略しますが、AHでは

AHでは「怒っている人は何かに困っている」と考えます。
どんなときでも「愛」か「怖れか」どちらかしか選べないという考え方に則ると、怒りは「相手の悲鳴」であるととらえます。いったんそう受け止めて「相手は何に困ってるのかな。どうして怖れを選んでしまったんだろう」と相手の不安を見抜いていきましょう。

実は決めつけの激しい人ほど不安が強いもの。

↑ なるほどそう考えると見方や受け止め方がかわってきませんか?


「怒っている人」から被害をうけないコツとは?


↑ また AHでは「評価は暴力」ともとらえます。
評価は相手も自分も傷つけます。

評価という銃弾にあたらないためにも

「あなたって本当にルーズなひとね」という評価を受けたら

「ふうん、あなたはそう思うんだ」と相手の評価に何の評価も下さない姿勢が効果的。

こんな風に切り返し方を覚えておくだけでも「被害者」になる回数はだいぶ減るのではないでしょうか?

「怒っている人は困っているひと」

ついうっかり、怒りの土俵にのって一緒に相撲をとる前につぶやいてみてくださいね。
AHの本が読みにくい、よくわからない、という方でもこの本からならとっかかりやすいと思います。
そしてAH実践者にも、あらためて理解が深まるオススメの本です!

そんなこんなで

これからの乱生を 心穏やかに 自分の道に邁進するための手段として
わたしがたどり着いたのは下記の3つ!

1)マクロビオティック 肉体のパフォーマンスを最大値にする食べ方
2)AH 外的要因にふりまわされない心の姿勢の調整法
3)アサーティブネス 言いにくいことや自分の気持ちを気持ちよく伝える方法

つくづく この3つにつきるなぁと。
ひとは社会性でなりたっている生き物ですから、他者とのコミュニケーション次第で
人生の充実度が変わってくると思うんですね。

この3つを今後の人生で探求していき、
「体ニイイコト×心ニイイコト」のコンセプトのもと、みなさんとシェアできればと考えています。
くりかえしますが、これらはあくまでも手段であって目的ではありません。
なりたい自分になるための近道、応援グッズと考えます。


※)
さらに、だめおし、自分を信じるためのサポートやお守りが必要なかたは
YUKINE りえちゃんのパワーストーンや 生支州さんのウィッチクラフトの護符もどうぞ。
また生支州さんのライフリーディングで背中を押してもらうことも有効ですね。
この辺はお二人の専門領域、個人的に良いと思ったのでご紹介しますが、
後はみなさんの判断におまかせ致します♪


こんな不透明な時代ですから、何を信じてどう行動していくのかは自分の選択次第。
あわてず、まどわされず、地に足をしっかりつけて、行動してまいりましょう。

今日も読んでくださってありがとうございました。

LOVE
| AH | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

感謝のAH(アティテューディナルヒーリング)

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって


3月に水島広子さんを迎えて開催したAH初級ワークショップ
昨日は2回目のAHサポートグループ。
(サポートグループは初級ワ−クショップの内容を理解しているという前提で進みます。
必ず、事前に「怖れを手放す」の書籍を読むかDVDを見終わってからご参加下さい)



ファシリ役も2回目、心の平和度もアップしてリラックスして臨むことができますた。

今回は8名でしっぽりと。

それがですね、筆舌に尽くしがたい感動の時空間になったんですよ。本当にびっくり。参加者のみなさんもひとりひとりそれを味わい尽くしているのが見て取れました。

誰からも攻撃されない安全な場所で、相手のプロセスを尊重しながら、あったかい心(愛)で人の話を聞く・・・・

すごい、すごすぎた。 
本当にこれ、自分の癒しとしてやってよかった。少しでも他人のためにという氣持ちがでたらヤメようと思っています。本当に今の自分に必要なヒーリング。

ヒーリングといえば、ベットに横たわり施術してもらうイメージの方が強いかな?
AHは「心の姿勢=持ち方」を癒していくもの。

自己啓発でも、スピリチャルでも、サイキックでも、宗教でも、施術でもない、特殊能力を必要としない非常にシンプルなものなので万人がとりくむことが可能です。

| AH | 06:59 | comments(6) | trackbacks(0) |

AHサポートグループ発足

JUGEMテーマ:精神世界をめぐって

4月26日Sobe'sCafe花巻店で「AHサポートグループ」が発足しました!
ぎりぎりまで県庁でとある審査員をしていた私ぎりぎりセーフでお店に戻り、心ざわついたままスタートしたにもかかわらず参加者の方々の醸し出す素晴らしい空気に本当に本当に心があったかくなりました。初ファシリテータはタイマーセット忘れたりボロボロでしたなー。ごめんよ〜
それなのに仙台や、盛岡からもご参加いただき、も〜〜〜心から感謝です。

このAH(心の平和)は誰のためでもなく 自分の為にやっていること。
だから、みなさんも誰かのため、という概念をいったん脱いで自分の心の平和のために参加をきめてくださいね。

次回は5月17日(月)18時から開催します。
参加費は お食事+飲み物つきでおひとり様1,500円です。

なんだかんだで明後日にはSAに出発。旅の様子と写真はtwitpicとTwitterで報告するます。

ユーザー名はsayu8164だよ〜。さがしてみてねん。

| AH | 16:00 | comments(0) | trackbacks(0) |